つぶやき
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わたしが写真を撮るのは

竹内悠貴
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写真を撮るとき。

そこには「わたし」が写ります。

好きなもの。

残しておきたいと思うほど大切なもの。

誰かに見せたいもの。

わたしが見ている世界そのもの。

「ああ!撮りたい!」と思うものは、そういうものばかりのはず。

だから、わたしがシャッターを切って、写真になったそれらは、全てわたしのカケラで、わたし自身です。

一見繋がりがないような、世界観が違うように見える写真たちも、「わたし」を通してゆるく繋がっています。だって、「わたし」が「あ、いいな」と思って、切り取った世界の一部なんだから。

だから、写真を撮ることは、「わたし」を知ることなんです。

写真を撮ることは、自分自身の体調やメンタルの調子を測るバロメーターにもなります。

疲れている時。カメラを持ち出そうとも思わないし、好きなものに対してカメラを向けようとも思わないのではないでしょうか。

少なくともわたしはそうです。

「撮りたいな」とは、思います。だけど、えいや!とカメラを持つまでのエネルギーが湧かないことだってあります。

(そんな時は、「疲れてるんだな」と思って、ちゃんと休もうね。そこで、ああ、写真も撮れないなんて、わたしダメだな、って責めないでね。ただちゃんと休めばいいだけです。)

だけど、ちゃんと休息が取れていたり、嬉しかったり楽しかったりすると、カメラを持つエネルギーも湧いてくるし、残したい瞬間が増えて、写真を撮る量も増えていきます。

自分を見つめるためのツールのひとつとして、写真はとってもパワフルです。

写真は、記録。

写真は、思い出。

ただ、きれいに撮れていればいい。

それもひとつの写真の側面なんだけど。

それだけ、にしてしまうのは、とてももったいない。

だって。

写真には、「わたし」を写し出す力がある。

わたしがどんなものを好きで、どんなものを大事にしたいと思っているのか。

だれにでも簡単に表現できるツールが、写真です。

だけど、カメラ任せ(オート)だと、わたしの見ている世界は写真に写りにくい。

カメラにわたしの意図を伝えるための知識がちょっとだけ必要です。

それをフォトスクールや、体験会でお伝えしています。

写真には正解がないんだよ。だから自由に撮っていいからね。

写真を学ぼう!と決めて、最初に行ったフォトスクールで、渕上真由先生にこう言われて、固まりました笑。

今、何も知らずに撮っている自分の写真も、けっこう好き。

だけど、習ったらもっと自分の写真が好きになるだろうし、もっと上手になるに違いない。

だって、写真にもきっと正解があるはず!って信じていたから。

だけど、違った笑。

写真には、正解はない。

だけど、写真には「わたし」自身が写るから、わたしがどうしたいのか、何が撮りたいのか、なにに感動したのか、が大事。

実際のところ、そのころのわたしには、それがすごく難しかったんです。(今もまだまだ途上です)

常に人の目を気にしていたし、周りからどう思われるのか、どう振る舞えば嫌われないか、だけに囚われていて、自分のしたいこと、自分の表現したいことは、二の次だったから。

どう撮ったら、綺麗だね、と言ってもらえる?
どう撮ったら、素敵だねって褒めてもらえる?
どう撮ったら、いいね!って言ってもらえる?

全てが他人軸。

低い低い自己評価と、他人依存。

少しずつ、少しずつ、わたしは写真を撮って、それを発信して表現していく中で変わってきました。

他人軸から、自分軸へ。

わたしはこう思う。
わたしはこうしたい。

社会生活の中で実践するのは、ハードルが高くても、写真の表現の中でだったら実践しやすいし、「写真」で出来るようになれば、少しずつ日常生活にも、その影響は及びます。

大事にするべきなのは、「わたし」がどう感じているのか、どう表現したいのか。

そして、わたし自身の半径5メートル内にどんな世界を作っていきたいのか。

写真を通じて、わたしが大切にしたいことはたくさん見えるようになり、実際に大切にできる環境も作れるようになりつつあります。

写真って、ただの記録、ではない。

わたしを写し出す鏡。

わたしを伝える表現ツール。

そんな写真の力を、もっともっと多くの人に伝えたい。

そして、あなたの感じている、その感性を、大きく花開かせることができる安心な場所として、わたしはココで待っていたい。

そう思って、活動しています。

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ゆっきー
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